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僕の彼女を紹介します。   

a0026315_1824472.jpg僕の彼女を紹介します。を観ました。


これで、「猟奇的な彼女」「ラブストーリー」「僕の彼女を紹介します」とクァク・ジェヨン監督三部作制覇。
ネタバレになるので、あまり公開しないほうがいいですが、できれば前作を観てからのほうがいいです。
見てる人は、笑いのツボが少し違います。

さて、私は韓国の映画をこの3本しか観ていないので、偏った意見になるかもしれませんが、
1. 熱い。
 思ったことを行動したり、言動をはいたり、なんだか熱いという印象を受けた。
 喜怒哀楽の激しさからも伺えます。   
2. 食べ方が豪快。
 食べ方は、SmapSmapでゲストにでたチェ・ジウの豪快な食べ方にも唖然とした覚えがあります。
3. 純粋。
 喜怒哀楽の激しさにも関係するが、「純粋」な印象があります。
 これだけ純粋な映画だからこそ、笑えるし、泣けるのでしょう。

なにか難しい構図とか、意味を解釈しなければいけないような最近の日本映画と違って、純粋な感じです。
日本映画も、昔はこのようにわかりやすい映画だったような気がします。それが、だんだん撮影も脚本も監督も演技も台詞も、凝り始め、分化していくために、よくわからなくなってしまうのだろう。ある種のこだわりみたいなもの??
各モジュールがすり合わせていき、最高の映画が完成すると思われるが、観ているものにそれが届かなければ、「なんだったんだろうーね? あれ。」となってしまう。日本の映画も、もう一度原点に戻りながら、作品を作っていくべきではないだろうか。

今回は、チョン・ジヒョンが魅力的であるというのを再認識しました。
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by namanama100 | 2004-12-28 14:32 | こんな映画が好き

「けなす」と「ほめる」   

2004.12.21日経新聞の朝刊に、財務省予算原案についてエコノミストが評価をしていた。構造改革・経済活性化・財政スリム化を指標にとって、総合評価した4名のそれぞれの合計点数は、65,50,40,40点。100点満点だよね?と言いたくなる。
新聞は何がいいたいのか? エコノミストは何が言いたいのか?新聞やエコノミストは、「けなす」ことが商売?財政政策は、そんなに評価できない内容なのか?

「けなす」という行為は、だれでもできる。嫌いという感情をもって、一歩引いて見れば、すぐにけなせる。
ある発言においても、その前提を崩してやれば、一気に吹っ飛ぶ。さらに、けなすは、自分と比較してその差を指摘する。

でも、ほめるというのは、すこしテクニックが必要である。
いつでも誰に対してほめることができるわけではない。ほめるのは、自分の差と考えるならば、自分は通常「自意識過剰」であるという前提で考えると、見つけることが困難である。だって、それが一番いいと思って、行動しているし、そうしているのだから、自分が一番。
だから、ほめるのは、そういう内面的なところではなく、外見が重視される。髪型や容姿、洋服のセンスとか、笑顔とか。
「よいしょ屋」「ほめ殺し屋」という人が溢れていないのは、そういう困難な状況に対応できにくいからであろう。

今日から、けなすより、ほめるほうを重視してみよう。
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by namanama100 | 2004-12-21 14:48 | namanamaコラム

好きなタイプ   

「好きな男性のタイプ」と聞かれて、こういうやりとりをよく耳にする。

『やさしくて、思いやりがあって、年齢が上で、あっ、5つくらいまで大丈夫。できれば記念日を大事にする人で、・・・。あと、浮気をしない人かな』
「注文多いですね。」
『あと、タバコ吸わない人』
「まだ、あるんですか、贅沢ですねー」

私は、いつも、うっそーーそれだけではないでしょう、と言いたくなる。

すぐキレル、口をあけてくちゃくちゃ食べる、3日以上風呂に入らない、片付けしない、足がくさい、マザコン、常識知らず・・・、こういう男はいかがなものか?
実は、皆このようなことを、「無い」という前提の上で、話をしているのである。
何が前提かわからない上での、双方の会話になるため、「贅沢」とか「注文多い」という会話になる。言われた本人は、「贅沢」とは思ってはいないだろう。

これの「一定の前提のうえ」というのは、なんでも共通するであろう。
仮に、「優れた企業の5つの条件」たる内容は、たとえば「柔軟性」「リーダーシップ」「変革できる文化」「創造的」・・・とかいろいろあるかもしれない。
ただしこれも、何らかの前提で伝えられているはずである。5つの条件に、「横領しない」「毎日飲み会しない」「社長の愛人が役員でない」という項目は見かけたことはない。こういう基本的?、基盤を固めることが「柔軟性」「創造性」を生むのではないかと思う。
一定の前提や一定基準というのは、なんと表現すればいいのか?
何が一定か、基準かは聞き手も話し手も共通化させることは困難だろう。


さて、「女性のタイプ」は、なんと答えていいのやら・・・・。
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by namanama100 | 2004-12-21 09:34 | namanamaコラム

インタンジブル・アセット~「IT投資と生産性」相関の原理~   

a0026315_16412641.jpgインタンジブル・アセット~「IT投資と生産性」相関の原理~エリック・ブリニョルフソン著、CSK訳・編ダイヤモンド社、2004年

こういう題名には弱い。「見えざる資産」と「暗黙知」で人気の野中郁次郎がよく使う言葉。

コンピュータのハードウェアの投資額1ドルに対し、インタンジブルアセットの平均投資額が9ドルになることが分かった。(p27)

で、インタンジブルなアセットって何だというと、業務プロセス、社員教育、取引先との関係、顧客満足度、社員の忠誠心、企業に対する評価という。確かに定量的に量れない分だけ見えない資産だ。情報投資において見積もりを業者は提出するが、そこまでは見積もりに入れない。ってゆーか、それは知らん。そんなことは自分で考えてほしいものだ。でも、業者は提案書で「このコンピュータを購入すれば、営業管理もでき、迅速な意思決定によって利益をもたらす」と書くはずだから、それに頼る。
ここでいう社員教育や業務改善をやるべきだ!といえば、受注も遅れるだろう。成果主義で、営業マンは、明日の飯がほしいし・・・。ある意味では、ベンダーのそういうところまで、理解しないと、ITはうまく動かないかもしれない。

単に古いテクノロジーを新しいテクノロジーに置き換えただけで、生産性の飛躍的な向上が達成されたわけではない。(p56)
従来の制約がもはや重要でなくなったことに気づき、新しい方法で仕事を行うことに前向きに取り組みだしたのだ。(p56)


うまく言っている企業は、「従来の制約に気づき、新しい方法で前向きに仕事に取り組んでいる」という。
えっ? では、ITって、「制約が気づくためのツール」なんですか? 多くのIT関連の書籍を目にすると、確かにそういう傾向になっている。意図した結果が生まれない、なにか違った形で成果を得るケースが多い。

現在のデジタル事業の環境では、ほとんどの企業はいまだに代替段階に留まっているといえる。このような代替方法では、予定されていた付加的便益はあるものの、新たに導入されたデジタル事業の業務形態が組織の他の側面を阻害する場合がある。(中略)情報技術は事業のやり方を変革できるが、単に既存の業務形態に情報技術をのせるだけでは不十分だということである。企業は業務の進め方や価値創造の仕方についてもっと広い見地から検討する必要がある。(p314)

当たり前の話です。
車は我々をなにも変えてくれない、乗っているだけでは幸せになることはない。高い金払っても、ただ動かして乗っていてもしかたない。
車は、「温泉に行ってゆっくりしよう」とする意志が生まれ、それゆえ高速道路をぶっ飛ばすツールに過ぎないのかもしれない。
「猫に小判」、「豚に真珠」というような諺がある。価値のあるものでも持つ人によって何の役にも立たないことをいう。動かないITや使えないITと言われるのは、そういうことなのかもしれない。
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by namanama100 | 2004-12-17 16:41 | こんな本が好き

ノイマンの夢・近代の欲望   

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ノイマンの夢・近代の欲望情報社会を解体する 佐藤俊樹、講談社選書メチエ、1996年


波田陽区の「**斬り」というのが、流行語を受賞したらしい。私は、「残念!」が受賞するかと思っていた。長井秀和の「間違いない」というほうが、個人的には押していたが。。。

そんな話は、どうでもよく、この佐藤俊樹(一橋大学)は、「情報社会」をバッサリ斬っている
情報社会そのものを斬っているのではなく、「情報社会」が何者かもわからないまま述べられている現状を斬っている。

「自動車が社会を変える」といわれても信じない人でも、「コンピュータが社会を変える」といわれるとなんとなく信じてしまうのだ。(p53)

情報化は社会を変え、新しいコミュニケーション手段、情報量の拡大や迅速な意思決定・・・などいろんなことが言われている情報化。
IT企業が、野球球団を買ったり、ITバブルとか、IT長者とか、確かに夢物語で語られている。つまり、筆者は「情報化社会」は、私たちを豊かにしてくれると、誰もが思っている因果関係が問題と指摘する。そうだよな、通信企業に就職したときから、既に通信はすごい!と教育された気がする。
でも、私たちの生活は、携帯電話代は毎月高いし、ADSLだの、パソコンの買い替えだの、高い金を払っている。ITは私たちに何をもたらしてくれたのか? こんなに毎月支払っているのに・・・・。(「銭金」での出演者も、少ない給料のなかで、莫大な借金と通信料を負担していることに気がついた・・・。)

さて、携帯電話というITが普及して、私たちの行動が変化した。
例えば「待ち合わせに、大抵遅れる」ことだ。
携帯がなかったとき、待ち合わせに間に合わないと相手に心配をかけるから、遅れないように早めに出る。「ごめん、待った?」「ねー、いつまで待たせるよー。」というTVドラマのセリフもなくなった。遅れるなら、携帯メールで「ごめんいましんじゅく、あと20ふんおくれるかもしれない」と送信するだろう。
送信すれば、遅れてもいいか・・?? 寒い街頭で20分待つくらいなら、コーヒーショップで温まっておこうとすれば、喫茶店はITのメリットを享受できるだろう。
私たちは、便利になったのか、ルーズになったのか? そういわれるとITに頼って生きている気がする。

おそらく私たちはこれからも、コンピュータに人間を仮託(メタファー)する誘惑にかられつづけるのだろう。他社をもちたいという欲望、そこに自己の姿を見たいという欲望は、近代社会の人間にとって、やはり抗いがたい魅力をもっているからだ。その欲望がある限り、「情報化」の神話もやはりなんらかの形で行き続けるだろうし、そしてまた同時に、その神話がある限り、その神話のヴェールを破る営みも続けられていくだろう。そのどちらも21世紀の近代社会を生きる人間たちに課せられた課業なのである。(p246)

うーーん、課題は深い。。。。
情報社会に私たちは居る。これは、たしかだ。
ただ、それが何なのかがわからない状況の中、走り続けているのである。山頂を目指し登山をする。「あの雄大な山の頂上を目指し、頑張ろう!」と麓で決断して、上り続けても頂上は見えず、木に囲まれた中を永遠と歩き続けることになる。この方向にいけば、頂上にたどり着く、だから頑張ろうと思う。
頂上に到達したときに、山がどうだったかが回想されていくのだろう。IT社会って、そういうものかもしれない。
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by namanama100 | 2004-12-17 15:34 | こんな本が好き

クリエーターという仕事(本間絹子さん)   


「きょうも大切に、フィーノの髪をあいしましょー」(資生堂)
「パッソ、プチプチプチトヨタ」(トヨタ)
「燃焼系、燃焼系、アミノ式」(サントリー)
「ニョッニョ、ニョッニョ、ニョニョニョニョニョー」(資生堂)

どれもよく耳にしているCMだ。よく聞くと同じ声ということに気づく。広告業界では有名な話であるようだが、電通のクリエーターの本間絹子さんという方が、作詞や歌を歌っているようである。本間さんの能力も凄いが、電通の組織構造に大変興味がある。
お客様ごとにアカウント営業がいるのは当然であるが、バックの支援者に、クリエーターが配置してあり、必要に応じて、チームを作って行くのだろう。日産自動車のカルロス・ゴーンよく言っていた「クロスファンクショナルチーム」のようなもので、上手く機能している実例でしょう。
CMというのは、何度も見る機会があるので、どうしても口ずさんだり、どこか頭の隅に残っている。たった15秒でどれだけ、そこに埋め込むことができるかが勝負だ。
商品に合ったCMを作り出すというのは、簡単そうで難しい。商品に合いながらも、印象に残し、購入意欲を引き出し、15秒で効果を出す必要がある。
映像・音・演出・キャラクタ・キャッチフレーズ・・・、奥が深い仕事だ。
それぞれの人の能力、技術を結集して、1本の作品にする、あたりまえだけで相当の「輪」が必要だろう。
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by namanama100 | 2004-12-13 13:58 | namanamaコラム

罪悪人の心境   

JR山手線、新宿から池袋・上野方面で帰宅する。
池袋で多くの人が乗換えで下車するので、ほとんど座れることは知っている。
だからこのルートの定期を購入したのだ。
新宿では混雑するものの、池袋に近づくにつれて乗客は少なくなる。

昨夜は、高田馬場で立っていた後ろの席が空いた。
池袋まで行けば座れることを知っているのでいいや、と間を置いたが、せっかくなので座ろうと、振り返り、腰掛けているときに、「空きましたよ」という声が聞こえた。
隣に立っていたおばさまがその隣のおじいさんに声をかけたようだ。時すでに遅し。私が既に座ってしまった。

私が座って「3秒程度の間」で、私とまわりの乗客は何が起こったかを察した。
 1.明らかに、おばさんとおじいさんは知り合いではない。
 2.おばさんが「空き」をおじいさんに教えたが、若者が何食わぬ顔して、そそくさと座ってしまった。
 3.おじいさんは座れる予定が、座れなくなった。
 4.あの若者は、ひどいやつだ。
 5.池袋まで我慢すればいいのにねーーー、あの人。

さらに、最悪の事態が起きた。
おじいさんの前に座っていた人が、「どうぞ」と譲ったのである。明らかに、周りから見ると悪いやつです、私。

座って「3秒」後、状況を理解できたなら、私が立って「どうぞ」と言うべきであった。(?)

でも、よく考えると、悪者になったに過ぎない。「空いて誰も座らなかったので、座った」だけに過ぎない。
私が座らなくても、誰かが座っていた。おばさんの声のかけるタイミングも悪い。

何か落とし込まれたような気がして、ムカムカした昨夜だった・・・。

このように、周りから見た「罪悪人」にも言い分はある。
罪悪人も「自分が悪い」とは思っていない場合が多い、と聞いたことがあるが、このような心境なのか?
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by namanama100 | 2004-12-01 11:56 | namanamaコラム