目に映るもの全てを愛したい
2005年 06月 22日

どこかで聞いたことのあるような台詞。
尾崎豊の『存在』という歌詞の一節である。
2日間会社が設定した「セルフエンパワーメント」という名の研修に参加した。
野呂理というコンサルティング会社から独立した講師。
「セルフ」という自己啓発や禅、滝、宗教というような妖しい研修と想像し、暇つぶし程度に参加したことが嘘の様な、評価であった。
・自分の価値観や長所が、少し見えた。
・過去の行動が、何の意味があり、何を得たのか、何を守っていたのかがわかった。
・自分が目指す場所が少し見えた。
「少し見える」ということは、大きな成果である。
俺は、こうだ!と思っても、それは違うものかもしれない。
そう思っているだけかもしれない。そう正当化しているだけかもしれない。
普通、「自分」は言葉や文字で表現しているが、その背景にある価値観とは、同じものなの?
会話する言葉が同じでも、価値観が違うかもしれない。
言葉が違っていても、価値観が同じかもしれない。
私達は、そういう矛盾のなかで生きている。
それぞれの夢はみんなの中にある。
それぞれの不満、葛藤もある。
それが「人が集まる」と、その思いは、書き換えられ、すりかえられてしまう。
それを自分の夢として制限してしまっている。
研修に自発的に集まった私を含めて4名は、皆、
・不満・夢はあるが、矛盾に対抗できず、もどかしい。
・何とかできるかもしれないと、少しワクワクしている。
・否定や妥協せず、素直に、話してみよう。。。
という同じような価値観をもっていることが分かったようだ。
言っていることはそれぞれ違うけど、眠っている心は同じ。
自発的に参加した4名だからかもしれないが、4名は、矛盾を打開するパワーはある。
4名もいた。
何ができるかわからないが、それぞれ何か一つでも行動しようと動き始めたはず。
独立して講師をしている野呂理さんに感謝。
そういう機会を作ってくれた会社に感謝。
そこで、今年のテーマ。(引用:「存在」尾崎豊)
生存競争の中 夢はすりかえられてしまう
受け止めよう 目まいすらする 街の影の中
さあもう一度 愛や誠心で立ち向って行かなければ
受け止めよう 自分らしさに うちのめされても
あるがままを受け止めながら 目に映るもの全てを愛したい
▲ by namanama100 | 2005-06-22 13:17 | 「尾崎豊」の一言